2007年 10月 13日
沖縄集団自決問題6 |
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初めての方はこちらからどうぞ。
大本営発表の真相
「マリアナ沖海戦以後は、誇大の戦果に損害のひた隠しが加わって、見せかけの勝報が相ついだ。フィリッピン沖海戦でその頂点に達した。そして、日本海軍は既に潰滅していたにもかかわらず、軍艦マーチだけが空虚な勝利を奏でていた。この状態は、最後の戦闘である沖縄の終結――二十年六月末まで続いたのであった。すばらしい大戦果として、当時全国民を狂喜させ、連合艦隊の次の作戦まで狂わせてしまった台湾沖航空戦の発表は、おそらく『デマ戦果』の横綱格であろう」と書いている。
つまり、我に不利になった場合に、誇大戦果が発表されたのであったが、そうすると今回の朝日の『11万人集会』報道も、不利になりつつある主催者側の「大本営発表」だと位置づけることが出来そうである。いずれにしてもこの新聞社は、国民を欺く宣伝に、戦中も今も一生懸命協力しているということになる。そしてやがて帝国陸海軍は消滅したのであったが、「大本営発表の真相史」的に考察すれば、この新聞社の消滅もそれほど遠いことではなさそう、ということになろうか・・・
勿論、この虚報を大々的に報道した現地新聞社と、それをそのまま書いて宣伝したノーベル賞作家は、事実が教科書で否定されると全ての論拠が崩壊するから、懸命に抵抗するのはよく理解できる。しかし、真実は隠せないだろうから、本当にお気の毒なことではある・・・。
上記の記事の Jdia0120 さんのコメント
来月11月9日 日本を将来を決める裁判があります。沖縄自決冤罪訴訟です
口頭弁論で大江健三郎氏の証人尋問が行われます。10時開廷で、9時半頃傍聴券抽選の締め切りになります。人数が多いともっと早まるかもしれません。傍聴券獲得のため抽選に参加していただき事とは基より裁判所前にて天満警察の許可の基、 ビラ配布を行うようです。応援をお願いします。
8時45分大阪地裁正門前に御集合ください。
よろしく願います。
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会より
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/34/
11月9日(金) 大阪地裁
14:00-16:00大江健三郎氏 証人尋問
12月21日(金)13:15 最終の口頭弁論 結審
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会より
沖縄集団自決冤罪訴訟第1回証人尋問
宮城晴美氏を尋問された徳永さんの尋問は白眉でした。宮城氏が、軍による自決命令があったと、見解を変えたのはわずか1月前の本年6月だとはっきりさせたこと、そして今も、梅澤さんが自決命令を出したと主張しているわけではなく、軍に責任があり、そうであるなら部隊長の梅澤さんに責任があると考えるようになったに過ぎない、と言うことを認めさせた事で、梅澤ルートの証人尋問は完勝に終わったと言えます。
宮城氏は、「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」と証言しました。
しかし、そう考えるようになったのがわずか1ヶ月前である事について、深見裁判長が「本当にその証言でよいのですか」と聞き返すほどでした。
60年以上前の事に関して、ようやく1ヶ月前から集団自決の強制があったと宮城氏が証言。
宮城氏の証言が今後どのように変わっていくか wktk。
沖縄集団自決冤罪訴訟第2回証人尋問
金城重明は、法廷でも集団自決が軍命令によるものであることを主張し、その根拠として、(1)昭和20年3月20日に役場に17歳以下の少年が集められ兵器軍曹から手榴弾を渡され、その際に「米軍の上陸は必至である。1発は敵兵に投げ、1発は捕虜にならぬよう自決用に使え」と命じられたこと、(2)軍から自決命令が伝えられたらしいという噂があったこと、(3)村長が天皇陛下万歳を三唱したのは自決命令にほかならないこと、(4)最も危険な場所である軍の西山陣地の近くに村民を集合させたのは、自決を命じるのと同じだ、といったことを挙げた。
まず、(1)の3月20日手榴弾配布の命令説であるが、なによりも、当時16歳であった金城重明自身が、そうした命令を受けていないことを明確に語ったことは重大である。金城重明は、20日に役場に集められたこともなく、兵器軍曹から手榴弾を交付されることもなかった。もちろん「1発は自決のために使え」という命令も受けてなかったのである。金城重明の言い訳は、兵器軍曹から手榴弾を配られたのは渡嘉敷部落だけであり、阿波連部落には、手榴弾の配布はなかったということであった。それが軍の命令なのであれば、阿波連に伝えられないということがありえようか。
さて、それでは、渡嘉敷部落で手榴弾をもらったものがいるのかと聞けば、なんと、もらったものは誰も知らないというのである。与那嶺次郎、小嶺勇夫、安里広信ら渡嘉敷部落の同級生も、同級生で役場の職員だった吉川勇助も3月20日に手榴弾をもらっていない。
(2)の隊長命令伝達に関する証言は、本来、隊長命令の有無が争点になっている本件訴訟でもっとも重要なもののはずだった。しかし、金城重明が証言したのは、「命令がでたらしいという噂」に過ぎなかった。金城重明の近著『集団自決を心に刻んで』(平成7年)でも、「事実関係には争いがある」との注が入っているのだから、「噂」しか証言できないのはしかたがないとはいえ、被告側の証人としてはいかにもパンチがないのである。しかも、その「噂」を話していた村民は誰かと尋ねてもはっきりとした答えはなかった。後知恵で命令を語っているといわれてもしかたがないであろう。
金城重明は、最近の沖縄タイムスのインタビューで集団自決後、赤松隊長から「軍は最後まで生き残って戦況を報告しなければならない。住民はそうではない」と直接聞いたとの新証言をしていた。弁護団としては、今回の証言で、この新証言が飛び出るのではないかと身構えていた。もし証言があれば、なぜ今まで、そんな大事な事実を沈黙してきたのかと突っ込むつもりでいた。ところが、主尋問は、この新証言にかすりもせずに終わってしまったのだ。反対尋問の最後で、このことについても尋ねてみたのだが、「住民はそうではない」の部分は、事実と違うので、削ってください、とのことだった。金城重明が、インタビューアーの期待に答えようとしてつい口が滑ってしまったのか、インタビューアーの間違いかは、はっきりしないままだったが、なんともいい加減な話である。記者にも金城重明にも、人間の罪と名誉がかかった問題だという意識がまったくないのだろう。
そもそも金城重明は、集団自決とは何かを語るべき証人であり、隊長命令や軍命令の有無を語るべき証人ではなかったのだ。この日、明かになったのはそのことだった。
集団自決の強制の証拠として手榴弾の配布があげられたが、敵上陸の直前の兵器不足の中、結局配布されなかった。
自決命令の噂があると証言。しかし、その噂を話していた人は知らない。
金城氏の証言も決定的な証拠とはならない。
この裁判では集団自決の強制がなかったと証言した照屋氏に対して、沖縄タイムスや被告側が照屋氏の経歴を捏造して反論した。
【続】5・26沖縄タイムス記事について新証拠を提示
しかし、すぐにその捏造はバレて、照屋氏の名誉は守られた。
集団自決強制の捏造元の一つが沖縄タイムス社であり、沖縄タイムス編『鉄の暴風』がその発端のとなった。
裁判の被告の岩波書店、大江健三郎氏らは、沖縄タイムスの記事を元に沖縄ノートを発表。
誹謗されたとする赤松さんなどの元軍人とその家族に訴えられた。
by morokuzu
| 2007-10-13 23:55
| 時事問題