2006年 11月 05日
朝鮮戦争以前に対馬侵略を狙っていた韓国 |
北朝鮮のミサイル発射、核実験強行の後、世界中で経済制裁が行われている中、
韓国だけは経済制裁に慎重で、北朝鮮のATMのままである。
太陽政策の失敗は大きく、ノーベル平和賞をお金で勝ち取った金大中とノムタン
こと盧武鉉の責任は重大だ。
やはり、韓国には民主主義は早過ぎた。
そんな韓国の現在と過去を振り返りたい。
北朝鮮に支配された韓国政府
盧武鉉政権:誕生前夜 その4・・国民参与と「族閥言論」
北朝鮮は1997年から
インターネットを通じた対南宣伝・扇動活動を強化した。
特に2000年の南北首脳会談以後では
北朝鮮が直接運営するサイト数が急激に増え、
韓国内の掲示板サイトには
各種の北朝鮮称賛文が無差別に掲載されていった。
この書き込みを行っていたのが
「統一黎明編集局」「インターネット救国の編集人」
などの親北団体であり、
彼らは地下で北朝鮮とつながっていた。
盧武鉉政権:誕生前夜 その5・・大統領就任演説とイラク派兵
政権発足当初から盧武鉉は
5月に米国を訪問することを表明していた。
しかし、それを待たずに
政権とその周辺から聞こえてくる反米言動に
ブッシュ政権は硬化していく。
米国防省は在韓米軍削減を言及し、
米国議会では米韓同盟に対する懐疑的な意見が
飛び交い始めた。
米韓同盟の冷却化は、対米輸出に依存し、
38度線にて北方の大軍と睨みあう韓国にとって
死命を制さるる事態に違いない。
「反米」の火遊びが
急速な対米関係の悪化へと転化していく。
事の深刻さに気づいた盧武鉉の狼狽ぶりは凄まじかった。
それまでの反米言動がウソのように影を潜め、
訪米を前に米国との亀裂を埋めようと必死になる。
2003年4月。
盧武鉉は米国の要請に応じ、イラクへの派兵を行うと表明。
韓国国会は2日、政府提出の
工兵部隊600名を主軸とする派兵案を賛成多数で可決した。
誰もが驚いた。
一番驚愕したのは盧武鉉の支持者達である。
彼らは事態の展開の意外さに唖然となった。
韓国軍は未だにイラクに残留しているようです。
韓国軍によるベトナム大虐殺事件のような事はやめて欲しいと思います。
盧武鉉政権:誕生前夜 その7・・左傾人事と諜報機関
また、国家情報院の要職である企画調整室長には
「徐東晩」尚志大教授を任命した。
東大でバリバリの親北派である和田春樹・名誉教授に
師事した若手学者である。
彼は金大中政権時、太陽政策を熱狂的に支持し、
李鍾ソク・国家安全保障会議(NSC)事務次長とともに、
盧武鉉の対北問題のブレーンとなった。
その左派っぷりには定評があり、
国防白書から「北朝鮮=主敵」とする表現を削除せよと主張し、
保守派から強い批判を浴びてきた。
この「高栄九」院長と
「徐東晩」企画調整室長の人事は
韓国の国会で猛烈な反対を受ける。
その理由は高栄九の場合、
1、国家保安法廃止活動をしてきた
2、北朝鮮工作員の釈放運動をしてきた
の、2点だったが、
国会議員たちの本音は、
「機密情報が北朝鮮に筒向けになる」
「米国が重要情報を流してくれなくなる」
これに尽きるといっていい。
(中略)
この高栄九の任命直後の6月20日、
盧武鉉は就任以来初めて国家情報院を訪問した。
昼食をとった後、職位と身元が国家機密になっている、
幹部22人との記念撮影を行った。
ところが翌日、ネット新聞オーマイニュースに
この時の写真がでかでかと36時間に渡って掲載された。
まさに前代未聞の事態。
韓国のスパイマスター達の顔が全世界に公開されてしまった。
写真を提供したのは大統領官邸専属カメラマンであり、
盧武鉉政権の防諜意識の低さを印象づけた。
<*`∀´> ウリ達の子分のスパイどもは最高ニダ! ホルホルホル!
アメリカから韓国へ戦時指揮権の返還要求
ついにキレた米国:盧武鉉はどうする(依存症の独り言)
このような盧武鉉くんの言動を受けて、国防部(省)は困惑しきっているという。なぜなら、これまで、戦時作戦統制権の単独行使に懸念を示す国会や国防長官OB、予備役将軍などの指摘に対して「今すぐということではなく、2012年までに念入りに準備して
いくもの」と説得してきた経緯があるからである。
しかし、軍の最高司令官である盧武鉉くんが「今すぐにでも可能」と公言したため、国防部(省)関係者は「みんなあっけに取られている。これからどうすればいいのかわからない」という状態に陥ってしまったのである(爆笑)
【写真】「韓米連合司令部の解体に反対」
悲しげなおじさん達。ホルホルホル。
韓国の戦時指揮権問題(極東ブログ)
しかし一番重要なことは、NHKの報道解説にあったが、現在の米韓合同司令部体制の場合、実際には米軍がトップに立つとはいえ、条約上米軍の活動は韓国政府の合意を必要とする点だ。これは、ある意味「統帥権」の歯止めのようなものでもあり、実際に米国クリントン政権の際の北爆決定について歯止めとなった経緯もある。が、指揮権の移管により、合同指令部は解体され、米軍は実際にはフリーハンドを手に入れることになる。悪く言えば、米軍は韓国を守る必要はなくなり米軍の都合で朝鮮半島で軍事活動が可能になった。あまり言うべきではないが米側の空気を読んでいると、在韓米軍はできるだけ朝鮮有事に受動的に巻き込まれる可能性を減らし米兵の損失を避けたいようでもある。
朝鮮半島有事の場合、韓国の軍隊の指揮権は米韓合同司令部にある。
韓国の大統領が指揮権を持っているのではない。
現在、朝鮮半島有事の場合の指揮権が米韓合同司令部にあるといってもアメリカの
自由になるのではない。
そのため、クリントン政権も北朝鮮を攻撃する事は出来なかった。
今回、アメリカが韓国に指揮権を委譲するといっても、もちろん韓国を信頼しての
事ではない。
アメリカとしては指揮権委譲により、戦争に巻き込まれる事を避ける事が出来る。
更にアメリカの都合で軍事活動が可能である。
実際、ハイテク化が進み過ぎたアメリカ軍と共同作戦をとれる軍隊は存在せず(イ
ギリス軍や自衛隊も含めて)、危険な朝鮮半島に関してはアメリカもそれなりの覚
悟を決めてきたものと考えられる。
アメリカ軍が韓国から撤退? 2009年
在韓米軍、非戦闘要員の日本脱出訓練を実施
韓半島有事の際、在韓米軍のペットも脱出
この記事のコメントから
当然です 2006-11-02 16:02:46
ペットを韓国に置き去りにでもしたら、その日のうちに鍋にされ食われてしまいます。
x 2006-11-01 09:55:57
要約すれば、朝鮮人は米国にとって、畜生以下であるということですね。
アメリカも本気で撤退を急いでますね。
世界最強のアメリカ軍を退却させるなんて、韓国最高です! w
朝鮮戦争以前から韓国は対馬侵略を狙っていた!
なぜか韓国人が知らない朝鮮戦争開戦の経緯
1949年1月:李承晩は政府樹立直後の新年記者会見で日本に対馬島返還を要求。
1949年2月:韓国軍一斉に釜山に集結開始(対馬返還の後押しの為と推察)(南部への韓国軍移動)
筆者談:北朝鮮というあきあらかな敵が存在するにも拘らず、内戦と日本への無意味な対抗心の為に、南部に軍事力を集中させてしまいましたね・・・ (日本へは領土的野心と言っていいでしょう)
1949年3月:韓国軍は釜山で揚陸訓練開始。アメリカ陸軍第24軍は対馬上陸の為の演習と判断
筆者談:プサンの演習を知ったマッカーサーは激怒。明らかに対馬を想定したこの演習は、日本を防衛していたマッカーサーへの裏切りと判断されました。軍事物資の停止、24軍の撤退へと繋がります。ちなみにこの事実、韓国では隠蔽されているようですね。
1949年5月:マッカーサー李政権への軍事物資援助を停止
1949年6月:アメリカ24軍本体が本国に撤退。韓国には国連監視団600名のみ在留。防衛上の直接的な後ろ盾を失う
(中略)
1950年6月25日:北朝鮮軍南進 朝鮮戦争へ
韓国が対馬を侵略しようとしたために、アメリカ軍が呆れて韓国から撤退。
その後、軍事的な空白を北朝鮮・中国が見逃すはずがなく、悲惨な朝鮮戦争が起こった。
韓国がこんなにひどい国とは知りませんでした。 w
これは、もう侵略である(依存症の独り言)
ある意味、韓国による日本の侵略は始まっています。
↓韓国の軍隊による侵略が始まったら日本もこうなります
ベトナム戦争の混血児問題
韓国がベトナム戦争に参戦した際、韓国軍兵士や軍属の韓国民間人が「レイプ」「非管理売春」「現地妻」を持ったことなどにより、多くの混血児が生まれた。その人数は、釜山日報の記事(2004.9.18)によれば、5千~3万人と推定されている。
韓国人の性格から考えて、少なくともこの10倍以上の被害があったと考えた方が良さそうです。 w
韓国軍がベトナムでした事「AGAIN1966」
亀山旭『ベトナム戦争』(2)
亀山旭『ベトナム戦争』(6)
私の村は地獄になった
韓国兵に殺されたベトナム人の数は、公式統計だけでも4万1450名だ。
ベトナム戦争時における南朝鮮兵の暴虐
南朝鮮はベトナムに常時五万人、十年間で延べ三一万人の兵を派遣しました。この時勇猛をもってなった「白馬師団」「猛虎師団」というのがありますが、白馬師団の連隊長はのちの大統領である全斗煥、猛虎師団の大隊長はおなじく後の大統領である廬泰愚でした。
by morokuzu
| 2006-11-05 14:18
| 韓国情報